2017年 5月 21日 09:00
まもなく新日本プロレススーパーJr
こんにちはBUSHIです。
少しうんちくを話します。
IWGPジュニアヘビー級王座はIWGPとして認定するタイトルとしては、1985年末に認定されたIWGPタッグ王座に次いで1986年に設立。
それまでジュニアヘビー級の王座は、藤波辰巳が1978年1月に獲得したWWFジュニアヘビー級王座と1980年2月に獲得したNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に、タイガーマスク(初代)が1982年5月に獲得したNWA世界ジュニアヘビー級王座の3つがあったが、1985年10月末にWWFが新日本との業務提携を終了し、WWFジュニアヘビー級王座はWWFインターナショナル・ヘビー級王座ならびにWWFインターナショナル・タッグ王座とともに返上を余儀なくされ、同時にNWA世界ジュニアヘビー級王座も返上となった。NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座は、1981年8月の時点で当時王者だったチャボ・ゲレロが全日本プロレスへの移籍と同時に全日本プロレスに渡り移っていた事から、これらに代わる真の王座としてのベルトが必要であった。
当時の新日本はタイガーマスク(初代)、ダイナマイト・キッド、小林邦昭が相次いで新日本を離れ、ジュニアヘビー級の選手層が急激に薄くなった時期で、前述の2本のベルトはザ・コブラとヒロ斎藤、さらに全日本プロレスから移籍した越中詩郎により争われていた。1986年の新春シリーズで「IWGPジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」が開催され、上位2名による決定戦において ザ・コブラをジャーマン・スープレックス・ホールドにて破った越中詩郎が初代王者となった。
その後、第1次UWFの崩壊で新日本に出戻り参戦となった高田伸彦(現:高田延彦)と越中の「ジュニア版名勝負数え唄」によってジュニア戦線に注目が集まるようになり、山崎一夫、小林邦昭、馳浩、オーエン・ハートらの参戦で人気は不動のものとなった。その後、デビューした獣神ライガー(現:獣神サンダー・ライガー)を中心に激闘が展開され、現在まで継承されている。
今年も楽しみでしかたがありません!!